ブログ一回目の記事でいきなりですが、この度ステータスが休職中から退職予定となりましたので、これまでの経緯を書き留めておこうと思います。
私が在宅ワーカーを目指すきっかけとなりました。
職場とのやり取り
1.取り敢えず年内は休職しよう
私が新型コロナウイルスに罹患したのは2022年8月。
咳、食欲不振、酷い全身倦怠感などが残存したままでしたが、人手不足で私が休んだ間無理してくれていた同僚達に申し訳なくて療養期間が開けてすぐ出勤しました。
主な業務内容
- 医事課窓口業務
- レセプト請求業務
- コロナワクチン予約管理業務
- その他(光回線インフラ整備で業者とやり取り等)
因みに私は時短勤務職員です。残業しつつも自分の勤務時間内に全てを終わらせるためにかなり無理をしました。
咳は1ヶ月でほぼ治まったものの倦怠感は良くなるどころか悪化し、仕事と子ども達の送迎は気合いでやっていましたがついに限界が来ました。
体調が悪いので勤務体系を見直してくれと相談するも直属の上司からは「コロナ後遺症になっている人は周囲にいない。繁忙期だし無理」とバッサリ言われました。
あの時の絶望感は今でもトラウマです。
自分で動くしかないので、就労不可の診断書を取得して取り敢えず2か月は休むことになりました。
2.後遺症専門外来
睡眠が浅くなっているようで、いくら寝ても朝起きたら全身倦怠感から始まります。
後遺症専門外来を予約したものの初診が2か月待ちでした。当時は後遺症外来を掲げているところがほぼ無かったし、自分で調べた情報で「疲労を感じたらすぐ休む」とあったので休職後は出来るだけ安静に過ごしました。
やっと受診が出来たのですが、有効な治療法は無く少なくとも罹患後半年は安静に過ごすことを話されました。
その旨を報告すると「Dr.の言う事はともかくとして、自分の体調的には働けそうなのか」と。
いやいやいや無理したら治らないから休めって言われたのに、この期に及んで私の気合次第でどうにかなると思ってるんですか。寒波が来て体調が著しく悪化して半寝たきりになっていたのもあり「無理です」とお伝えしました。
罹患後半年(2023年2月)まで休職延長です。
3.慢性疲労症候群
さて、冬の間多少の波はあるものの体調は一向に良くなりません。
コロナ後遺症に限らず、感染症に罹患したあと倦怠感等の症状が治らない状態が継続すると慢性疲労症候群という状態になります。
因みに当時は気候やら何やらで日によって体調にかなり波があり、PS4〜6ぐらいでした。2023年8月現在はPS3(時々5)まで改善しています。
厚生労働省の慢性疲労症候群診断基準
https://www.fuksi-kagk-u.ac.jp/guide/efforts/research/kuratsune/fatigue/fatigue03.html
私は治らなかったので、慢性化グループと相成りました。いつ治るのか誰にも分からないので、復職期間は完全に不透明です。
この頃からもう現職へ復帰できないかもしれないと思い始め、裁量性の仕事を模索してPythonを勉強し始めます。
裏方の部署(業務改善ツール開発や総務)へ配置転換を希望してみるも当院の規模で専任は無理なので医事課兼務でやるように言われました。
4.春に改善傾向も、5月に再増悪
暖かくなったからか、時間薬か、3月下旬から4月にかけてかなり体調が良くなりました。このまま良くなるかと一気に期待が高まりました。
しかしこの頃から体を引き摺りながら働いていた時の夢をよく見るようになり、不安感で睡眠がさらに浅くなりました。
そして下旬の気候が不安定になったタイミングで臥位で過ごす時間が増えて半寝たきり状態に戻り、かなり絶望しました。
あくまでも現職への復帰が求められるのであれば、退職することを視野に入れるべきだと考え始めました。
5.退職届
何度かやり取りする中で業務内容等の交渉をするも、最後まで平行線でした。
最後にマナビDXQuestの選考通過したことを材料に話をしようと思っていましたが、これまでの経過でもう疲れてしまってシンプルに「退職します」とお伝えしました。
私のプレゼンの仕方も下手だったかもしれません。自分なりに組織に寄与できる労働力を示したつもりでしたが、医療機関におけるIT関連のジョブに対する価値観はとても低いというのを痛感です。
そこにコストはかけられないと。
あとは、まだまだ体調に波がある中で焦り過ぎていたかと。もう少し回復してから交渉できれば他の選択肢もあったかもしれません。
この点は完全に私の気質(せっかち)の問題です…。
ともあれ就労規則の休職期間も超過しており、これ以上のやり取りは私の精神衛生上よろしくないので退職することになりました。(長時間の会話やストレスでも体調悪化する)
家庭を回すだけでも難易度が高い
「はじめに」に書いておりますが、我が家は2人の息子がいて長男はASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如型)、軽度知的障がいの診断がついています。
今年になって長男に続いて年中次男もASDの診断が出たため、来年は就学に向けて特別支援学級や放課後デイサービスなどの環境構築をせねばなりません。
長男の時は仕事の多忙も重なり大変過ぎて、虚血性大腸炎になりました。現在次男は不穏気味で取り扱い注意な上に、夫も体調を崩しているので本当に母が倒れている場合ではないのです…
長男が診断を受けた当時も、育児が大変だし就学時の環境構築に失敗すると不登校になる可能性も考え、今後の就労についてかなり悩みました。
仕事を辞めようかと相談した複数の相手に「発達障がいのある子を育てながら働いている人もたくさんいるよ!大丈夫!」と言われたこともあり、とりあえずやってみようと何とか働いてきましたが、人が大丈夫でも自分が大丈夫とは限りません。
あの時もっと負荷の少ない仕事にジョブチェンジしていれば、少なくともストレスも一因であると思われるコロナ後遺症にはならずに済んだのではないかという思いがあります。
私と同じように発達っ子の育児に疲弊し仕事について悩んでいる方がいれば、人からの「大丈夫!」より自分の「大丈夫じゃない…」をしっかり受け止めてほしいと伝えたいです。
今では夫も理解がありますが、結局子ども達のメイン対応は私です。心のキャパ然り、自身に余裕が無いと潰れてしまいます。
母の余裕が子ども達への寄り添い力にもなるので、自分のメンテを妥協してはいけない。
今後は負荷を少しでも削って就労のパフォーマンスを上げるために、通勤が必要なく周囲の音で疲弊もせずに済む在宅ワーカーの道を模索するつもりです。
いつになるか不明ですが自分は”治る”とも思っているので、徐々に業務範囲を広げていけたら良いなと思います。目指せ負荷の少ない生活。